第9回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文部門・最優秀賞受賞作品
B


 『 乗り越える力を自分につけよう』
        


                                                 山崎 侃之助

 僕は社会からいじめられているように感じていた。学校では余所者扱いされ、家では邪魔者扱いされた。ずっと居場所を探していた。
 僕の家は片親だった。幼いながらに「お父さんに手紙書く!」と言っていた記憶はあるが、その顔は思い出せない。それでも小学5年生までは割と普通の小学生だったように思う。普通に学校で勉強し、友達と遊んでいた。地元のサッカークラブに所属し練習に励んでいた。片親と言っても、ひいおばあちゃん、おばあちゃん、おじいちゃん、おばさん、お母さん、自分の6人家族で家は賑やかだったし、裕福ではないにしてもそこまで貧乏ではなかった。多少の嫌なことが学校であっても概ね楽しく生活できていた。
 その生活が、小学6年生に上がると一変した。母が再婚し、嫁ぐことが決まった。それはめでたいことだし、一緒に住んでた家族もお祝いしていた。家族と離れ離れになるのは寂しかったが新しいお父さんはもともと知っている人で一緒にゲームをしたりしたことがあったのでどちらかと言えば新しい生活を楽しみにしていた。

 しかし、現実は違った。転校した学校は各学年1クラスしかないような小さい学校で、コミュニティが出来上がっていた。そこに小学6年生で転校してきた自分は当然、余所者扱いされ、軽いイジメが始まった。遊びに混ぜてもらえなかったり、話しかけてもあからさまに避けられたりするのは当たり前だった。
 不幸は連鎖する。母が姑(父方の祖母)とうまくいかずにヒステリックを起こした。今まで逞しく自分を育ててくれた母が「私なんてどうせ飾りなんでしょ!」とパニックを起こす姿は見ててとても辛いものだった。家庭の雰囲気は重たくなり、父親のストレスの矛先は僕に向かった。父親は何かと言いがかりをつけ、僕を怒った。学校のテストの点数が低かったことを怒られ「勉強はしてる!」と反論したら顔面を叩かれた。初めて体験した大人の暴力は今でも鮮明に覚えている。学校ではいじめられ、家では誰にも相談できない。学校の先生は転校したての自分より何年間も一緒にいる子供と仲が良く、相談しても味方になってくれない気がした。今考えれば相談して良かったと思う。辛い現実を誰にも相談できない地獄のような日々だった。
 そんなこんなで僕は完全な孤独に陥った。この生活は高校に入るまで続いた。中学校に上がっても小学校の人間関係の延長に過ぎず、状況は変わらなかった。さらに、重たい家庭の雰囲気に自分の反抗期が重なり家庭環境は最悪だった。客観的に見ると、いつ自殺してもおかしくない状況だが、僕は死にたいとは思わなかった。それは読書が自分の拠り所になっていたからだ。
 
 僕はトンネルの出口を探して本を読み漁った。小説を読むこともあったが、基本的には自己啓発本やビジネス書を読んだ。本を読むと色々な人の考え方や色々な世界を知ることが出来る。自分のいる環境が世界と比べればちっぽけだと知れる。僕は本のお陰で自分を客観的に見ることができた。
僕はそうして読書を生きがいにして小学6年生から中学3年生までの4年間耐え続け、高校に入学した。高校に入学すると、ようやく4年間走り続けたトンネルを抜けられた。高校では人間関係もリセットされ安定した学校生活を送れるようになった。弟が生まれ親のメンタルも安定した。
辛い期間を乗り越えた今は、親や学校の同級生が自分の不幸を招いたとは思っていないし、恨んでもいない。むしろ感謝しているくらいだ。あの頃の辛い期間がなければ自分のことを深刻に考えたりできなかっただろうし、人の気持ちを考えられるようにならなったと思う。この経験が自分のアイデンティティを形成した。この4年間は想像を絶する苦しみに悶え続けたが自分の人生で1番成長できた期間になった。
 僕は、いじめっ子が悪いという考え方をあまりよく思っていない。悪者をはっきりさせてしまうと「悪者を退治する」という名目でまた負の連鎖が始まる。いじめっ子を責めていたらエスカレートし、明日はあなたがいじめっ子になっているかもしれない。だから誰が悪いとか短絡的に判断するのはもうやめよう。誰が悪者かを考えるよりどうすれば悪いことが起こらなくなるかを考えるべきだ。